🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

階段を駆ける

ぼくが通う学校と塾の間に、大きくて古いビルが建っている。そのビルの外壁は薄汚れた肌色で、不気味なひび割れが沢山走っている。学校から帰る途中、ぼくは周りに人がいないことを慎重に確かめながらビルの裏手に回り、重くて錆びついたドアをゆっくりと開ける。そして忍び足でビルの中に入り、階段を上る。非常灯に照らされた薄暗い階段は、埃や、湿った土のような匂いがする。階段の踊り場には、派手な刺繍のカーペットや、外国の古いチェス盤や大ぶりな火鉢や汚れたフランス人形などが無造作に置かれていた。点滅を繰り返す蛍光灯に照らされた空間は不気味だけど、ぼくはこれらを眺めるのが好きだ。お化け屋敷にいるみたいで興奮する。このビルは建物全体がアンティークショップになっている。とても不思議なビルで、ぼくがこんな風にこっそり入っても誰にも見つからないし、中で人に会うこともない。裏の扉は鍵がかかっていないし、ビルの管理がすごく適当なのだ。悪い人が侵入して踊り場に置かれたがらくたを持ち帰っても、だれも気付かないだろう。

 


階段を登り続け、最上階の扉を開けるとビルの屋上に出る。屋上には、カウンター席とソファ席が設置されていて、街の風景を見ながら座ることが出来た。この階下にあるカフェスペースの一部のようだ。ぼくは屋上に出ると、すかさずカウンター席をチェックする。よし、今日もちゃんと置いてある。ぼくのエッフェル塔。この屋上のカウンター席に飾られているエッフェル塔の模型は、ぼくが置いたものだ。

 


「これ、パリのお土産だよ。」

おばあちゃんが嬉しそうな顔でぼくに手渡したのは、エッフェル塔の模型だった。

「ありがとう。」

そう口では言ったものの、内心呆れてしまった。こんなおもちゃでぼくが喜ぶと思っているのだろうか。いつまでも子ども扱いして…。おばあちゃんの家を出て、その足で塾に行くはずだったけれど、ぼくはアンティークの古いビルの中へ入った。なんとなく、塾に行く気分になれなかった。ぼくは、三回に一回くらいの割合で塾をサボる。中学受験に向けて通い始めたけれど全然やる気が出ない。塾をサボっても、母さんのところには連絡が入らないから、いい加減になってしまう。生徒に対して塾も適当なのだ。僕は屋上に出て、カウンターから街の景色を見ながら、パリの風景を想像した。パリ。どんな街なのだろう。大きな道の真ん中に、エッフェル塔が建っているのかな。道は緑に囲まれていて、プードルと散歩する女の人が、ハイヒールをコツコツと鳴らしながら歩いたりして。ぼくはふと思いついて、紙袋からエッフェル塔を取り出し、カウンターの上に置いてみた。エッフェル塔を始点に、ビルの前を真っ直ぐにのびる都市高速の風景が、なんだかパリみたいに思えた。これ、すごくいいぞ。この景色はぼくが作ったんだ。このまま、エッフェル塔をここに置いていこうかな。いずれ誰かが持ち帰るか、カフェの店員が処分するだろう。それまでの間、エッフェル塔にこの景色を見せてやろう。ぼくは愉快な気持ちになり、誰もいないことを確認してから、意味もなくクルクルと屋上で踊った。そしてブックオフで漫画を立ち読みした後、何食わぬ顔して家に帰った。

 


それから数日後。ビルの屋上へ行き、ぼくは息を飲んだ。カウンターの上に、エッフェル塔は置かれたままだったのだ。どうして?ぼくはその場に立ち竦む。カウンター席でお茶をする女の人達が、ケーキとエッフェル塔を並べて、写真を撮っている。エッフェル塔を挟んで、ツーショットを撮ってもらうカップルもいた。そんなことをして何が楽しいのだろう。おとなって不思議だ。それ以降、ぼくがエッフェル塔の様子を見に行く頻度が増えていった。エッフェル塔の前でポーズをとる人。エッフェル塔を持ち上げて、接写する人。みんな、いろんなアングルでエッフェル塔をカメラに収めようとしている。いつの間にかエッフェル塔は、この屋上の風景の一部になっていた。

「それ、ぼくが置いたんだよ。」

そう言ってみんなに伝えたかった。もちろんそんなことは言えないけれど、ぼくの中で優越感が膨らむ。模擬試験の結果より、屋上の様子のほうがずっと気になった。

 


寒い冬の夕暮れ時。屋上には誰もいないと思いながら最上階の扉を開けると、真ん中のソファ席で、女の人がエッフェル塔を抱いたまま寝そべっていた。ぼくはびっくりして声が出そうになる。何だか、見てはいけないものを見てしまったような気がする。心臓がドキドキした。その人は、空を真っ直ぐに見上げながら、時々目を瞑ったり、微笑んだりしている。変な人だ。そして、愛おしそうにエッフェル塔を両腕の中で包んでいた。すると、突然ぼくの心に、変な感情が生まれた。エッフェル塔をぼくのもとへ戻したくなったのだ。どうしてなんだろう?エッフェル塔が大切にされている姿を見た途端、奪い取りたくなるなんてガキみたいだ。そんな自分に対して無性に腹が立つ。ぼくは足音をたてずにゆっくりと出入口へ行き、扉を閉めた。そして、駆け足で階段を下る。海外のおもちゃや古びた家具には目もくれず、一目散に。さっき生まれた感情を消し去りたかった。もう、エッフェル塔のことを気にするのは終わりだ。ビルを出て、自動販売機でアイスココアを買う。空気は冷たいのに、全身が汗ばんでいる。ぼくのエッフェル塔が、女の人に抱き締められている。その光景や、エッフェル塔を包む身体の柔らかさを想像することが嫌だった。さっき見た景色を追い払うかのように、ぼくはアイスココアを一気に飲みこんでむせかえってしまう。呼吸を整えながらココアを飲み干し、空になったペットボトルを勢いよくゴミ箱に捨てた。重いリュックサックをしっかりと背負い直し、足早に塾へ向かう。いつもは美味しいと感じるココアの甘さがやけにくどい。何度も唾液を飲み込みながら白い息を吐いた。