🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

灯のあるところ

 乾浩市は三輪自転車の速度を緩め、喫茶店の駐車場の脇に停まる。店内に入ると、目の前に雑誌が置いてある棚がある。適当に一冊を抜き取り、いつもの窓際の席に座る。「乾さん、こんにちは。ホットでいい?」見慣れた店員が声をかけてきたので頷く。キツネ顔で背の高い女性だが、何度名前を訊いてもすぐに忘れてしまう。ホットコーヒーを飲みながら雑誌のページを捲る。表紙に「Oggi」と書かれているが、浩市は読めない。紙面には、長い髪でハイヒールを履いている女性が沢山載っている。ぼんやりと写真を眺めているうちに眠くなってきたから、窓からの景色を見つめた。前方の長屋の壁に貼りつけられた、市会議員のポスターが今にも風に飛んでいきそうだ。この辺りは廃墟も多い。新築のマンションと長屋や廃墟が混在する風景は、何故か浩市を安心させた。だからこの喫茶店の窓際の席で、コーヒーを飲むことが日課となっている。ケーキやサンドイッチのメニューが多いが、浩市はコーヒーしか注文したことがない。

 


 喫茶店を出たあとは近所のスーパーへ向かう。店内に入り、浩市は立ち止まる。

何を買うんだったか……。必要なものがあったはずだが、思い出せない。あてもなく生鮮食品売り場を彷徨う。「おつとめ品」のシールが貼り付けらえた商品に目が留まった。秋刀魚の刺身だ。秋刀魚、美味そうだな。浩市は脂がのった秋刀魚の味を思い出し、早くも晩酌が楽しみになる。秋刀魚の刺身と木綿豆腐一丁を手にとって、レジへ向かった。

 


 帰宅して冷蔵庫を開けると、どんぶりの中にがんもどきの煮つけが入っていた。これは、いつ作ったやつだったか?どんぶりに顔に近づけ、匂いを嗅いでみる。うん、大丈夫そうだ。今夜は秋刀魚の刺身とがんもどきの煮付けと赤だし。あとは漬物と飯があれば十分だろう。以前は高血圧を気にして漬物を一切食べなくなったが、今では好きなものを自由に食べるようにしている。木綿豆腐と長ネギを切り、みそ汁を作る。違う小鍋にお湯を沸かし、芋焼酎が入った湯呑に注ぐ。テーブルに料理を並べ、新聞のテレビ欄に目を通した。今夜は何をやっているのか。お。「映画 君の名は」か。懐かしいなぁ。岸恵子、美人だったなぁ。浩市は昔観た映画の放送を知り、嬉しくなる。しかし、実際にテレビに映るのはアニメだった。なんだこりゃ?秋刀魚を頬張りながら、なんとなくアニメを観る。若い男女が入れ替わる話らしい。見ているうちに眠くなってきたから、テレビを消す。風呂は昨日入ったはずだから、今日はいいや。食器を片付けたあと、歯を磨く。入れ歯も差し歯もない浩市の歯は、いつも医者に褒められる。唯一、体で自慢ができるところだ。消灯し、布団に入る前に仏壇の前に座る。電気式の蝋燭と線香のスイッチをつける。妻、よし子の写真の前で手を合わせながら心の中で呟く。

「今日も無事に過ぎた。おやすみなさい。」

浩市の禿頭にか細い灯が映る。固定された灯りだが、誰かが息を吹きかけているかのように薄闇の中を揺れる。