🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

二度目のパリに行くとき

久屋大通公園の中央に位置するテレビ塔を見上げながら、僕は缶ビールを飲んでいる。

二年前にリニューアルされた公園は美しく整備され、テレビ塔周辺は芝生で覆われている。

夜の8時過ぎ。秋の澄んだ空気と虫の音に包まれて、気持ちがいい。四十近い男が、レジャーシートの上で体操座りして、デパ地下で買った総菜と缶ビールで「ひとり夜ピクニック」をしている姿は、傍から見れば異様だろう。夜な夜なこんなことをしているなんて、誰にも言えない。僕の密かな楽しみであるピクニックは、気候の良い季節の夜に決行される。

 


レストランやカフェやブティックが、芝生のある広場の両サイドに軒を連ねているから、この広場は夜でも明るい。眼前にそびえるテレビ塔は都会の夜空を射貫き、堂々としている。夜になると広場の人気は減り、こんな風にレジャーシートを広げている人間はいない。煌々と光るテレビ塔を独り占めしているような気分に浸れる。仕事で疲れた体を癒すべく、シートの上で寝っ転がったりして思い思いのまま夜気を吸い込む。

 


「あのぅ……、すみません。」

飲みながら瞑想しているときに、突然若い女性から声をかけられた。化粧気が無い顔だが、髪の色は明るい茶髪。まだ学生だろうか。遠慮がちに僕の様子を窺う。

テレビ塔を背景に、私の姿を入れて写真撮って欲しいんですけど、いいですか?」

「あ……、はい。」

突然の申し出に驚いた。テレビ塔全体をスマホのフレームに入れることは難しい。女性は小柄だが、彼女の上半身とテレビ塔の中央部分を枠に入れるだけで精いっぱいだ。僕はシートの上に這いつくばった姿勢でスマホを掲げた。ギリギリ入るだろうか。

「すみません、そこまでしてもらって……。」

恐縮しながらも、彼女はどこか嬉しそうだ。僕はうまいアングルを捉えたくて、不自然な姿勢を取りながら何枚も写真を撮る。巨大なテレビ塔の前に佇む彼女の腕はとても華奢に見えた。

 

なんとか上手く撮れた写真を見せると、彼女は表情は綻び、何度も僕に礼を言った。

「ちなみに、どうしてテレビ塔を背景にした写真が欲しかったの?」

最初から抱いていた疑問を尋ねずにはいられなかった。

テレビ塔って、パリのエッフェル塔を模倣して建築されたことから『東洋のエッフェル塔』と呼ばれていて……。」

「へぇ。知らなかった。言われてみればエッフェル塔っぽい。」

「それで、エッフェル塔を背景にして写真を撮ると運気が向上するっていうジンクスがあるんです。もしかしたらテレビ塔もそうなのかなぁって思って。そのジンクスにあやかりたくて写真を…。」

そんな理由だったとは。ロマンティックな回答に思わず舌を巻いた。

「運気向上かぁ。ジンクスを信じるって、なんだか懐かしい感覚だよ。」

そもそも僕は占いや迷信を信じたことなんて、今まであっただろうか。

「あの、今の話。全部嘘です。」

「え、なにそれ!」

思わず素っ頓狂な声が出てしまった。何考えてんだ、この子。

「芝生の上で、テレビ塔見上げながらビール飲んでるお兄さんから目が離せなくて。

素敵な姿だったから。お喋りするきっかけが欲しかったんです。」

呆気にとられた。これって逆ナンパだろうか。

「え……、本気で言ってるの?」

「はい。」

怪しい勧誘だろうか。擦れてなさそうな子だし、不穏な空気は感じられないが。

「きみ、ユニークだね。こんなおじさんが一人でレジャーシートの上でビール飲んでる姿はどう見たって侘しいじゃない?」

「そうですか?ひとり時間満喫って感じで素敵だと思います。」

「ひとり時間ねぇ。」

最近は「ソロ活」という言葉をよく耳にする。ひとりでなんでも活動する人を指すらしい。

ひとりキャンプ、ひとり焼肉、ひとりカラオケ……。そして、ひとり夜ピクニックもアリなのか。

「私、パリに憧れていて。テレビ塔を見ながらエッフェル塔を想像するんです。いつかパリに行きたいなぁって思いながら。」

いきなり話が飛躍する。風船みたいに宙を舞う子だ。

「へぇ。なんでそんなにパリに行きたいの?」

「美術館とチーズとワインが大好きなんです。」

「王道だね。」

僕は笑いを交えて返した。

「だって、パリって魅力が凝縮されてませんか?芸術の宝庫だし、街並みはお洒落、食べ物もおいしい。パリジェンヌはシックだし。」

「きみはパリを美化しすぎだよ。パリって結構野蛮な場所だよ。血なまぐさい歴史が多いんだから。」

僕の台詞には全く意に介さずに、質問が続く。

「お兄さんはパリに行ったことあります?」

「あるよ。」

「いいなぁ。誰と行きました?」

「友達と。」

咄嗟に嘘をついた。パリは新婚旅行で行った。二年前に離婚した妻と。

「パリの旅行話が聞きたいです。」

「それが、あんまり覚えてないんだ。」

「えー、なんでですか?」

僕はビールを口に含みながらはぐらかした。本当に何も残ってないのだ。

僕は美術館巡りがしたかったけれど、妻は買い物とカフェとレストランで頭がいっぱいだった。彼女が右手に持っていた、フェラガモの靴が入った紙袋。買ったばかりのそれは、メトロでひったくりに遭う。ヒステリックな妻の声しか覚えていない。

ほどよく酔いが回り、目の前の彼女にその時の話をしようかと思ったが、やめた。

「きっと僕は若すぎて、パリの魅力が分からなかったんだ。」

「年齢とか関係するのかな。私はあちこち観光せずに、絵を見ることが出来れば最高なのだけど。」

夢見がちで、アートが大好きな女の子。きみはパリで何を発見するのだろう。

「レモンチューハイあるから飲まない?ワインじゃなくて申し訳ないけれど。」

「え、いいんですか?」

二度目のパリに行くときは、何も縛られずに街を散策したい。

今の僕のように、自由に、飄々と。女の子は連れて行かないほうがいいだろう。

テレビ塔がカラフルに発光する。

赤、青、黄、緑、ピンク。信号のような原色を発する鉄塔は、缶チューハイをおいしそうに飲む彼女の横顔をピエロみたいに染めた。