🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

夜の観覧車

プロの写真家を目指す弥生さんは、僕のアルバイト先の常連客だ。僕は学生で、夜は繁華街のビル内に設営されている観覧車の誘導役の仕事をしている。この時間はカップルがちらほらと来るだけで、とても楽な仕事だから気に入っている。初めて弥生さんに会った日のことは忘れられない。背が高くて化粧気の無い女性が一人、カメラを抱えて訪れた。

「五周乗りたいので、切符を五枚買って渡してもいいですか?」

こんなお客は初めてだ。観覧車の中で変なことはしないだろうか。僕は不安な気持ちを抱えながら女性を誘導した。彼女は観覧車の窓から外の景色を撮ることに夢中のようだ。それからカメラを抱えて頻繁にここへ来るようになった。年齢は聞いてないけれど、多分、三十前後だろう。そんな弥生さんから写真のモデルになって欲しいと言われた時は驚いた。僕はどう見ても端正な顔立ちじゃないから、すぐに断った。そしたら、「どうしても佐々木くんを観覧車の中で撮りたい。」と懇願された。まぁ、この先の人生で僕が写真のモデルになることは無いだろう。面白半分で引き受けた。

 


モデルを引き受けたものの一向に連絡が来ないから、もう忘れたのかな、と思った矢先にメールが来た。今日の十八時に一緒に観覧車に乗りたい、とのこと。随分急な連絡だが弥生さんらしい。いざ狭い空間で向かい合い、カメラを向けられるとかなり緊張してしまう。弥生さんはそんな僕にはお構いなしに、密室内でパシャパシャとシャッターを切る。

「ねぇ。そんなに固くならないで。普通にしてよ。そうだ。なんでもいいから私に質問して。」

「えっと。じゃあ、弥生さんはなんで写真を撮ろうと思ったんですか?」

「高校生のときに友達が車に轢かれて死んだの。私の目の前で。」

弥生さんは何事もなかったようにそう言った。僕は返す言葉が見当たらない。無言の僕を捉えながら、弥生さんはシャッターを押し続けた。

「とても寒い日の夕方。友達と図書館の前で別れた。彼女は自転車に乗って、緩やかな坂道を下って行った。私は何気なくその姿を目で追っていたの。そして国道に出る前に、自転車のブレーキは止まらず、トラックにひかれた。坂道は凍結していたのよ。」

「そう…だったんですね…。」

僕は不自然に抑揚を欠いた声で呟く。

「その子がボールみたいに、弧を描くように空に浮いてね。一瞬の出来事なのに、スローモーションとなってその光景が私の脳裏に焼き付いて。それから私、ずっと放心状態だった。そして気が付いたら写真を撮っていたの。『一瞬の光景を残す』という行為に取り憑かれたように。」

その時だった。雷鳴が轟き、遠い東の空で稲妻が光った。夕闇に染まるビル街の間に鋭い亀裂が走る。

「タイミングばっちり。」

弥生さんがそう言って様々なアングルで景色を撮る。僕はやっと分かった。彼女は稲妻が走る瞬間を捉えたくて、今日のこの時間になるまで待機していたのだ。閃光によって陰影が増す弥生さんの横顔が綺麗で、僕は急にドキドキする。

「佐々木くんて、くまモンに似ているよね。」

いきなり弥生さんはそう言った。

「え?くまモン?」

僕は素っ頓狂な声をあげてしまう。その瞬間、すかさずシャッターは切られた。

「ああ、今の表情最高。稲妻をバックに、今日一番のショットが撮れたわ。」

「ちょっと待ってください、今のショットは嫌です。くまモンて、あのユルキャラのことですよね?絶対似てないですよ!」

「似てるって。頬が赤いところや、口がいつも半開きなところや、目が丸いところが。」

全く腑に落ちない。だけど可笑しくて、僕はつい笑ってしまう。

「結構嬉しいでしょう。」

「全然嬉しくないですよー。」

そっかあ、と言いながら、弥生さんは愉しそうにシャッターを切る。やがて空は暗い雲に覆われ、大粒の雨が観覧車を揺らし始めた。

「なんかさ、子どもの頃のキャンプの夜を思い出すよね。」

弥生さんの不思議な発言も、この小さな球体の中では自然に吸収される。僕は、観覧車が周り続けてほしいと思った。雨に滲むネオンに包まれて、頬の赤い僕が、どんな風に「一瞬」の光景に染まるのだろうか。僕はきっと、人生の中で忘れられない一夜になるであろうこの瞬間を、鮮明に記憶に刻みたいと願った。