🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

太陽のステンドグラス


 午後五時を過ぎると、西向きの窓から斜陽が入り、店内はややオレンジ色を帯びた色調になる。客席の小瓶に活けられたコスモスは、長い影をテーブルの上に落とす。私はこの時間の店の風景が好きだ。窓から見える欅は大きな葉を揺らせているが、初秋を過ぎた今では、枝の先をやや重たげに垂らしている。緑が風に揺れ、さわさわと鳴る音を聞きながら、私は砂糖と僅かな熱湯を入れた小鍋を弱火に掛けながらゆっくりと動かしている。小鍋から放たれる香ばしいカラメルソースの匂いを嗅ぐと私は誘惑に負けて、傍らに置いてあるコーヒーミルを動かした。焦がし砂糖の香りは、身体がコーヒーを欲してしまうのだ。挽いた豆を紙フィルターに入れ、コーヒーサーバーにゆっくりとお湯を落としながら、私は誰もいない店内を眺める。「喫茶それいゆ」の閉店まであと一時間。それまでにお客は来るだろうか。


「喫茶それいゆ」は、私の両親が創業した喫茶店だ。高齢の両親は、体力の低下と建物の老朽化を理由にして、八十代になる前に店を閉めることを決めていた。それいゆは、長く地元の人に愛されてきた店だったが、五十年も商売をやってきた両親は思い残すことは無いと言い、潔く閉店する心づもりをしていた。私は、それいゆがいずれ無くなることを理解しつつも日々寂しさを募らせた。そして、長女である私が店を継ぎたいと伝えた時、両親は心底驚いた。独身で、ずっとサラリーマンをしていた私は、それいゆの伝統を受け継ぐことを決心し、会社を辞めた。店は、セントラルパーク沿いにあるこのビルの三階に移転することにした。ここは、飲食店とブティックがメインに入った、築十年ほどの比較的新しいビルだ。ここは十坪ほどの狭い空間だけど、西向きの大きな窓からは広い公園の景色を望むことができ、実際の大きさより広く感じる。


 両親から受け継いだ、ハンドドリップによるコーヒーの淹れ方、名物のプリンや厚焼き卵サンドやクリームソーダなど、昔からのメニューを変えずに提供することを主軸に、私のやり方で店をリニューアルした。「純喫茶」というスタイルを保ちつつ、灰皿や新聞を置くことをやめた。BGMはラジオ放送ではなく、クラシックジャズへ変更。前の店から使用していた古時計や書棚を置き、レトロな雰囲気を出した。座り心地のいい、ゆったりとした大きさの椅子と、広めのテーブルを配置。都会の喧騒の中でも、この空間ではゆったりとした雰囲気を味わって欲しい。そう願いながら店をオープンさせた。リニューアルオープンして、もうすぐ一か月。客足は思った以上に伸びない。ビルの中にあるという地理的な問題と、久屋大通り界隈では、純喫茶を利用する年代、主に中高年世代が少ないということが原因だろう。店内禁煙にしたことも、おそらく起因している。


 私はプリンを仕込む為に、卵液を何度も濾し器に通して、サラサラの液体になるまで丹念に作業を繰り返す。それいゆのプリンは、八ヶ岳の養鶏場から仕入れた新鮮な卵に手間をかけることで完成する。弾力があり、スポーンですくうとぷるんと揺れる、鮮やかな黄色のプリン。卵とバニラとカラメルの味わいがしっかりと口の中に残るそれいゆ自慢のプリンだ。私は、完成したプリン液にバニラビーンズを入れて新しいボウルに移し、ラップをかけて一旦冷蔵庫で冷やす。このプリンの味は多くの人に知ってもらいたい。そう願いつつも、リニューアルに伴って訪れた雑誌やテレビの取材は断っている。まだ店を軌道に乗せていない状態でメディアに広めることに抵抗を感じたからだ。焦らず、着実にここの空気を熟成させたい。現在では、この界隈に勤めるOLや、サラリーマンがちらほらと常連になりつつある。そういったお客が安心して過ごせる店を作ることが優先だ。私は、どうやら父親譲りの頑固肌らしい。昔堅気の両親に反発していたのに、今では、流行に乗ることを嫌う自分に苦笑してしまう。


 この店の入り口の扉は、年季の入ったヒマラヤスギ材で作られており、幾重にも走る年輪と、渋い色味が特徴的だ。扉のやや上部に、私は特注のステンドグラスをはめ込ませた。丘の上に上る太陽と、それを囲うように咲くヒマワリを描いたステンドグラス。この店の名前、それいゆ(ソレイユ)は、フランス語で太陽という意味だ。それにちなんだモチーフを、どこかに入れたかった。この扉は値が張ったが、店のシンボルを置くことを最初に決めた。太陽のガラス、そして、燦燦と日が降り注ぐ西向きの窓。単純だが、自分が作った空間に見惚れてしまう瞬間がある。喫茶それいゆは陽に守られた場所であって欲しい。その気持ちはこの空間で過ごす間に、何度も思う。


古時計が帯びる影が一段と濃くなった時、入り口の扉が静かに開いた。遠慮がちに、店内を見回しながら入ってくる若い女の子は、開店当初から週に一度か二度、夕方の時間帯に一人で来る。

「いらっしゃいませ。好きなお席へどうぞ。」

 そういうと、彼女は必ず扉の一番近くの二人掛けのテーブル席に座り、その真横に掛けられた古時計をぼんやりと見つめる。そしてメニューをちらと見た後、すぐにそれを伏せて窓からの景色を眺める。学生だろうか。まだ十代に見える表情は、化粧気が無く、透明感のある肌にほんのりとピンクの頬紅をのせているだけのようだ。彼女はいつも通り、ブレンドコーヒーとプリンを注文した。私はガラスの器にプリンを乗せ、上に生クリームとシロップ漬けしたチェリーを飾る。昔ながらの王道のプリンスタイルが完成した。私は、彼女がプリンを口に含んだ時に見せる表情がとても好きだ。ピンクの頬がふわりと緩み、目を細める姿を見ると、私にもプリンの美味しさが伝わってくる。


 彼女のように若いお客が「純喫茶」を愉しんでくれると、嬉しさもひとしおだ。この場所で、自分と向き合うような時間を見つけて欲しいと思う。閉店時間の十分前に彼女は会計を済ませた。財布を鞄に仕舞った後、少し間を置いてから、緊張した口調で言葉を発した。

「あの、こちらでお仕事がしたいのですが。」

 彼女は真っ直ぐに私を見つめる。先週からアルバイト募集の貼り紙を、レジ横にさりげなく掲げていた。ランチタイムから三時過ぎくらいのティータイムにかけて、ホールをやってくれるスタッフが欲しかったのだ。私は、彼女からの思いがけない言葉に驚いた。次第に、嬉しさが広がる。

「分かりました。では、閉店後にゆっくりとお話がしたいので、それまで待ってもらっていいですか?」

「はい。お時間頂き、ありがとうございます。」

 彼女は丁寧に頭を下げた。

「好きな席に座っていてくださいね。」

彼女はいつものテーブル席に座り、鞄を膝の上に抱いたまま、やや首を傾げたコスモスをじっと見ていた。この名古屋という街で、五十年も地元の人に親しまれた「喫茶それいゆ」。新生それいゆは、まだ軌道に乗っていない状態だけど、彼女のような若い人が新しい空気を運んでくれる予感がする。太陽のステンドグラスから洩れる光が、彼女の横顔を美しく染めている。私はその光景をさりげなく見ながら、コーヒーカップを軽やかに磨き上げた。