🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

抱かれたエッフェル塔

古い雑居ビルの最上階に、オープンエアのカフェがひっそりと佇んでいる。寒い冬は、分厚いビニールが温室のように屋外のカフェスペースを囲う。カフェ内の石油ストーブの灯がビニールに反射して、空間はオレンジ色に染まっていた。カフェの隅のほうに、狭くて古びた階段があり、そこを登ると屋上に出るらしい。どんな景色が広がっているのだろう。私は好奇心を膨らませながら、カンカンと小気味よく靴音を響かせて階段を登った。

 


屋上に出ると、目の前には都市高速が彼方まで真っ直ぐ伸びていた。その周りを幹線道路が囲い、ライトを点けた車が川の流れのように動いている。光が溢れる滑走路のような景色に、私は見惚れた。屋上には誰もいない。先端にはカウンター席が設けられていて、そこには大きさが異なる二つ塔の模型が置かれていた。私は模型に近づいてみる。エッフェル塔?何故こんなところに…。その塔は、忽然と、誰かに忘れ去られたかのように存在している。二つのエッフェル塔は、果てしない道路の先を見つめているかのようだ。模型は固定されていないから手で動かすことができる。ゴツゴツしたエッフェル塔を触れているうちに、それを置いた人の遊び心が伝わる。なんだか、くすぐったいような、愉快な気持ちが芽生えてきた。私は小さいほうのエッフェル塔を持ち上げ、屋上の後方にあるソファ席へ移動した。

 


ソファにゆっくりと腰を沈め、冬の空を見上げた。濃い灰色の雲間から淡い光が幾筋も漏れ、石柱が真っ直ぐに地上まで射抜いているみたいだ。光の滑走路と、天空から生まれた神殿が交差する世界。私は神秘的な景色を目の当たりにして、落ち着かなくなった。この風景を、心の瓶の中に入れて蓋をして保管したい。思わずエッフェル塔を抱く腕に力が入る。そして、大胆にも私はそのままソファに寝そべった。

 


私の視界に広がる空の世界。目を閉じ、そしてゆっくりと瞼を開けると、雲の中で微かな光が点滅しながら動いている。それは空の上で、沢山の人を乗せて動いているものだ。天空でも地上でも、絶え間なく人は行き交っている。あの光は、どこから来たのだろう。どこへ向かっているのだろう。

旅に出よう。その光をみて、私は強く思った。どんなに時間が無くても、旅に出るんだ。

宝石のような景色が海を越えたら沢山ある。私は、生きている間にその原石の欠片をどれだけ拾い集めることが出来るだろうか。この屋上で体験したような、偶然に舞い降りる奇跡の瞬間にどれだけ巡り合えるのだろうか。

 


私は冷えた指先に息を吹きかける。空は刻一刻と夕闇に染まってきた。階下のカフェでホットワインを飲みながら旅先を考えよう。シナモンスティックの香りに包まれながら、少し先の未来を描こう。腕に抱いたエッフェル塔を元の位置に戻し、階段へ向かう。最後に振り返り、二つのエッフェル塔を見つめながら心の中で呟く。

また、会いに来るね。