🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

心音

新宿の高層ビルを見渡しながら、広い公園をあても無く散策する。新宿という地名がつくのに、ここは都会の喧騒が無く、野鳥の鳴き声や梢の揺れる音が耳に届く。なんだか、透明のフィルターに囲まれたような場所だ。僕は休みの日にここへ訪れることを習慣にしている。周りは百年以上の樹齢を重ねた大木が林立し、僕の頭上に緑の天井を作っている。その隙間から陽が差し込むと、その淡い光は天国から届いたかのように美しい筋となる。

 

直径三メートル以上の太い幹の表面は、岩肌のようにごつごつとしている。それを近くで見ると、新芽が顔を出していたりする。僕はその幹に手を触れる。そして、撫でながらぐるりと幹を一周し、窪みがあるところにもたれた。しばらくして、リュックサックから、聴診器を取り出し、両耳に栓を入れてからシルバーの円盤部分を幹に押しあてた。

「ゴウゴウ」「ザクザク」

様々な濁音が僕の鼓膜を揺らした。 位置をずらし、やや滑らかな樹皮に押しあてると、

「トントントン」

軽快なリズムを刻んでいる。 こうして幹の周りに聴診器をあて、目に入った樹木の鼓動を聴きながら歩く。 木の幹に聴診器をあてると、「根から吸い上げられた水分が、幹内を動く音が聞こえる」とよく言われているが、それは誤った言い伝えだ。もともと、そのような音は発生しない。聴診器を通して聞こえる音は、風が、枝や葉を揺らす音だ。だけど、僕にはこれらの音が、木の鼓動の様に感じる。木によって音は変わるし、同じ木でも箇所によって聞こえる音が変わる。木は、太陽の光と水だけで、生命活動を続けている。その証に、絶えず心臓を動かし続けているのだ。僕はこの音を聴くととても落ち着く。

 

僕の彼女の鼓動も聴いたことがある。日曜日の朝、カーテンから淡い光が漏れる部屋の中で、僕たちは目が覚めた後もベッドの中で抱き合っていた。薄い綿のパジャマ越しに、彼女の鼓動が僕の胸板に伝わる。

「あのさ、あなたの心臓の音を聴診器で聴きたいんだ。」

「どうしたの?」

「なんとなく。駄目かな?」

「変な人。」

彼女は可笑しそうに笑い、パジャマのボタンをはずす。 僕は聴診器を彼女の左胸にそっとあてた。 それは、彼女の静かな呼吸とは裏腹に、力強い音を規則的に奏でていた。 僕はしばらくその音に集中するうちに、深い安堵感に包まれた。

「ねえ、私の心臓ってどんな音?」

「すごく逞しくて、しなやかで、綺麗な音。ずっと聴いていたい。」

「変なお医者さんね。」

僕はそのまま彼女を抱き締めた。

 

一定のリズムを刻む、深い音の世界。なぜ僕は鼓動に惹かれるのだろう。 人間の鼓動も、木の幹の音も、ずっと聴いていると僕は深海を漂うような気分になる。水中では、自分の呼吸音が立体となり、鼓膜を揺らす。辺りは暗く、上を見上げると、日差しが揺らめいている。自分の肉体以外何もない世界は安らかだ。羊水の中を泳ぐ胎児も、こんな風に子宮の中で呼吸をしているのだろうか。

 

東京の中枢を担うこの場所で、ひとり、大木に囲まれる。この街が発展するずっと前から、根を張り、孤高に生き続けてきた樹木たち。そのエネルギーに触れたくて、この場所を訪れる。混線した社会に埋もれ、自分を見失いそうな時に、僕を優しく包んでくれる自然の音階。僕は大木の幹の鼓動を聴いたあとに、自身の胸に聴診器をあて、その心音を確かめる。