🌟short story writing📚💻📝

気ままに短編小説を書いています。

ミルキーウェイ

  「千佳さん、香水つけてる?」

エステの最中、アキラは重たげな瞼をうっすら開けて、呟いた。
「香水じゃなくて、ボディローションをつけてる。まだ、使い始めたばかり。」
 「甘いミルクの香りがして、いつもの千佳さんと違う感じがする。」
毎晩、シャワーを浴びた後に、全身に塗るボディローションは、微かな香りを漂わせるだけで、自分しか分からないと思っていたから、アキラの台詞は意外だった。
再び眠りに落ちるアキラの顔見て、意識をエステに集中させる。首筋からデコルテにかけて、強張ったアキラの凝りを念入りに解す。アキラの肌は見る見るうちにハリと艶を増し、血管の脈の動きが目視出来るくらい、血行が良くなっていく。定期的にエステを受けるアキラの肌は、引き締まっていて、キメが細かい。エステだけじゃない。アキラの身体の中から、温かな幸福感が伝わる。直に肌に触れば分かる。アキラが年上の彼氏から、どれだけ愛されているか。アキラが、大きな掌からどれほど丁寧に愛撫を受けているか。施術をしながらそんな光景を想像している自分に驚いた。今までは、アキラの恋を垣間見るだけで胸が痛くて、目を逸らし続けたのに。

施術が終わり、ハーブティをアキラに差し出す。
アキラはハーブティを口に含みながら、頬を上気させてこちらに顔を向ける。
「今日の千佳さんの掌が、いつもより温かくて心地良かった。熱が、すうっと、皮膚に入る感じ。」
「いつもと変わらないような気がするんだけど。」
「なんだか違うんだよ。あとね、千佳さんの眼差し。千佳さん髪を短くして、ショートボブにしたでしょ。そのせいか、千佳さんの瞳がすごくクリアで綺麗になった気がする。エステ中にちらちらと見ていたんだ。」
 アキラは、屈託も無く、女性が喜ぶような発言を惜しみなく言うのだ。そして、少年のような無邪気な表情で微笑む。こんな仕草が、十歳年上の彼氏を虜にしたのかもしれない。感情表現が真っ直ぐなアキラに対し、私の心も揺れる。彼は何度も鏡を見て、自身のフェイスラインが引き締まったことに満足しながら、サロンを後にした。

 一日の仕事が終わり、ゆっくりとバスタブに浸かる。ふくらはぎの張りを揉みほぐし、シャワーを浴びて浴室を出る。弛緩され、湯気が昇り立つ肌の上に、たっぷりとボディローションを塗る。エステティシャンとして、日々、人の体を触っているが、自分の体に対して目を向けてこなかったことに、ふと気付く。ミルクとバニラを混ぜたような、甘く優しい香りに包まれながら、私は洗面台の前に立つ。そして鏡に映る、裸の自分と向き合った。「女」としての自分を意識しないようにする為に、今まで、敢えて体を見ないようにしてきたかもしれない。四十歳を過ぎても、余分な脂肪が付いていない身体は引き締まっているが、ところどころ乾燥した部分は肌のキメが粗い。ボディローションのボトルには、「Milky Way」と書かれたラベルが貼ってある。アロマショップで、このボトルの蓋を開けて、香りを嗅いだ時、自分の身に付けたいと思った。仕事上、森林の香りがするオイルを使用し、その香りに慣れていたから、不思議な感覚だった。ミルキーウェイ。その響きから、甘いミルクを想像するが、本来は「天の川」という意味だ。小さな星たちが集まり、夜空に道をつくる。星の煌めきが、このボトルに集められ、肌の上で美しさを発するよう、願いが込められたローションなのかな。ロマンティックな発想をする自分に対して恥ずかしくなる。肩までの長さの髪を短くしたことも、甘い香りを身につけたことも、何となく、自分を少しずつ変えてみたくて行動した。アキラと知り合って、もうすぐ三年。彼の孤独を知り、いつしか惹かれた。だけど、彼の真の悦びや輝きは、私の知らない世界へ放たれている。私は行き場の無い想いを抱え、深い森の中で彷徨う日々が続いていた。そして今、森の中を抜け、日差しを求めようとする自分がいた。足元はまだ不安定だけど、少しずつ、歩みを進めている。

 バスタイムの後、甘い香りを漂わせて、ベランダに出ると、夜風が気持ち良い。冷たいペリエが、喉元を心地良く潤す。夜空を見上げると、梅雨の合間だけど雲間から星が瞬いている。もうすぐ七夕が近いことに気付いた。東の方角を見ると、無数の星が連なり、うっすらと、淡い筋になっている。人との出会いも、星と星が偶然に衝突し、形になるものを築くことと同じかもしれない。サロンでアキラと出会ったように、この先も、私は誰かと出会い、光を発することが出来るだろうか。夜風に吹かれながら、私は深く息を吸い込み、年に一度、願いを聞いてくれる天に向かう。子どもの頃以来、考えたことのなかった「願いごと」。
いつか誰かと出会い、甘い香りに包まれながら、一緒に穏やかな眠りにつきたい
私は自身の両腕をしっかりと抱きながら、天の川を見つめた。