エッセイ「ピアノコンサート」

Prayer

天から降り注ぐような真っ直ぐな光を浴びて、演奏者は最初の一音を響かせた。
その瞬間、何百人もの聴衆の呼吸は収束し、ステージ上のグランドピアノと、タキシード姿の演奏者を見つめた。
彼が演奏するベートーヴェンピアノソナタは囁き声のような繊細なタッチで奏でられる。それは川の流れのように、繊細さと、突然現れる激流の力強さを生みだし、自然の営みを象徴していた。目を瞑って聴くと、高音のトリルが川のせせらぎで、ベースとなる重低音は川底の生物の呼吸や、周りの樹木のざわめきを表現していた。やがて音の振幅が大きくなり、高音と低音の二重の流れは速度を増した。演奏は川の水が大海原へ放出されたような壮大なクライマックスを迎え、終演した。
ベートーヴェンの、静謐さと激しさを兼ね備えたピアノソナタの余熱が冷めないなか、新たな演目が幕を切った。軽やかなリズムで奏でられるショパンは、気分屋な女の子を描くように、可愛らしく、時に悪戯に鍵盤の上を舞った。やがて主人公の女の子は成長し、恋をする気持ちを表すように、演奏者は切ない音を奏でた。彼女の気持ちのさざ波を、揺れるようなタッチで響かせる。熱い感情をたぎらせるバラードは、低音の規則的なリズムと、高音のドラマチックに流れる音階が成し、体内に呼応するような波を伝える。演奏者はショパンの感情が憑依したかのように、深く目を瞑りながら無心に鍵盤を叩く。音の興奮が頂点に達した時、バラードは熱を帯びながら、風のように去って行った。私の頬は熱く上気し、ショパンの情熱が身体の隅々まで迸った。
休憩中、コンサートホール内のバーカウンターで赤ワインを口に含みながら、体内に余韻を残す音と共にまどろむ。
ベートーヴェンショパン。ピアノを通して伝えられる彼らの楽曲は、自然の風景や人間の感情を落とした、音の宝石箱だ。演奏者は彼らが創造した宝石を磨き、輝きが一層強く放たれるよう、祈りを捧げるように箱の中の世界を構築する。
それは、芸術が再生する奇跡の瞬間であった。
窓に広がる景色を見つめた。見慣れた都心の夜景は、いつもより美しい光を帯びて映る。偉大な作曲家が遺した音の宝石が、輝く奇跡。その瞬間にまた出会えますように…
私はそう祈りながら赤ワインのグラスを片手に、満たされた気持ちで酔いに身を任せた。